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眼科学教室のご紹介
慶応後塾大学医学部眼科学教室の歴史
大正8年に初代教授が就任以来85年の歴史があり、現在の教授は6代目となります。
初代教授
菅沼 定男 (大正8. 8. 9〜昭和16. 1. 24)
Dr. Sadao Suganuma (1919-1941)
眼科学教室の歴史は大正8年、初代教授菅沼定男の就任をもって始まりました。当時はまだ、臨床棟の建築はできておらず解剖学教室の一室を借りて活動をしていました。

昭和11年 第40回日本眼科学会総会の開催校として選ばれ、総会会長就任。東京大学の眼科との間で野球、庭球、陸上競技などを行い親睦を深めました。現在でも対抗野球試合は続いています。そして医局員に対し禁酒を命じ、教授在職中続けたそうです。

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二代目教授
植村 操 (昭和16. 1. 25〜昭和36. 10. 1)
Dr. Misao Uemura (1941-1961)
昭和23年 診療施設が建築され、本格的に診療が行えるようになりました。
昭和26年〜40年 日本眼科学会理事長就任
昭和28年 第57回日本眼科学会総会会長就任
昭和32年 慶應義塾大学病院の院長就任
昭和34年 医学部長就任
昭和36年 名誉教授、国立東京第二病院長就任
昭和45年 沖縄琉球大学付属病院の病院長に就任し、国立大学の医学部付属病院として発足するまでの育成、指導にあたられました。
昭和46年 春の叙勲で、勲二等旭日重光章を受けられました。
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三代目教授
桑原 安治 (昭和37. 4. 1〜昭和48. 3. 31)
Dr. Yasuharu Kuwabara(1962-1973)
岩手医科大学の今泉亀撤先生に次いで、角膜移植手術を最初に手がけられました。
昭和38年 日本初の眼球銀行である、慶應義塾大学眼球銀行を開設されました。
また、超音波白内障手術を世界に先駆けて開発されました。
この技術は改良を重ねて現在も広く使われています。
昭和43年 第72回日本眼科学会総会会長就任
昭和46年 日本眼科学会理事長就任
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四代目教授
植村 恭夫 (昭和48. 6. 16〜平成2. 3. 31)
Dr. Yasuo Uemura(1973-1990)
昭和50年 慶應義塾大学眼球銀行に関して大改革を行われ、
現在の機能的な眼球銀行の基礎を作られました。
昭和51年 他科に先がけてコンピュータ方式を導入されました。
昭和58年 日本眼科学会理事長就任
臨床的研究、基礎的研究とも国際的に通ずる発表の基盤を作るため努力され、現在の慶應大学医学部眼科の方向性を確実にされた先生です。麻雀をよく楽しんだ教授にちなみ、植村杯が9月第一土曜日に行われています。
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五代目教授
小口 芳久 (平成2. 4. 1〜平成16. 3. 31)
Dr. Yoshihisa Oguchi(1990-2004)
平成13年 日本眼科学会賞受賞
平成13年 第105回日本眼科学会総会会長就任
平成14年 日本神経眼科学会会長就任
平成15年 義塾賞受賞
東京歯科大学眼科、東京医療センター、成育医療センターを始めとして関連病院の育成に力を注ぎ、専門の電気生理学に加えて、教室に分子生物学を導入し緑内障遺伝子の研究を育てました。教授就任後テニスをよく楽しんだ教授にちなみ、小口杯が神宮テニス場で行われています。
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六代目教授
坪田 一男 (平成16. 4. 1〜現在)
Dr. Kazuo Tsubota(2004-)
世界一の眼科学教室を作るべく、過去の先輩方の歴史を大切にしながら奮闘中です。眼科学という臨床医学を中心にして、再生医療と坑加齢医療の2つの新しい領域を加えてユニークな教室を作りたいと考えています。日本眼科学会の中では改革の柱である初代プログラム委員長に就任し、学会全体のお役にたちたいと考えています。よろしくご指導のほどお願いします。
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